語りたくなった日
私は昔から作文が嫌いでした。
読書感想文や日記の宿題、新しく転勤してきた先生の歓迎の言葉など、学校では折々に文章を書かされてきましたが、これは常々思っておりました。
しかし現在、ブログを再開する気になりました。ブロギングは作文に他なりません。嫌いな作文をなぜしようと思ったのでしょうか。
語りたくなったからです。
語りたいことができたからです。作文は何かを伝えたい、表現したいという筆者の意図があってこそ、存在意義があります。むりやり書かされてもいいものにはなりません。だから昔の私は嫌いだったのでしょう。そんなこと、昔は全然考えていませんでしたけれども。
もうひとつ、最近気づいたことがあります。私の個人的な性質かもしれませんが、
語りたいことができるのは精神が不安定な時です。
つまり今現在私の精神は不安定ということになるのですが、その原因はわかりません。ただ、精神が不安定というのは半ば本能的に認識しています。
無性に、誰かに、自らの心の内を理解して欲しいと思うことはありませんか。さらに言えば、ある程度理解してほしいけど、全ては理解して欲しくない、お前らにこの気持ちがわかってたまるかと思うことはありませんか。私は今その状態です。何を言えばいいのかわかりません。でも、何もしないままだとこのわだかまりは解消されないような気がするのです。
何かを発信して、誰かが共感してくれると信じる。共感してくれる誰かがいると信じる。その共感してくれる誰かとは、よい話し相手になれそうです。どこか宗教みたいですね。
というわけで、誰か共感してください。