舐められない通話法

前回の記事では、私がいかに通話が苦手かについて書きましたが、今回は逆に通話慣れしている人はどんな雰囲気かを述べます。電話越しで相手に舐められるのは気分の良いことではありません。私のように怖がりで心配性な人は是非参考にしてください。

通話慣れしていると感じさせるには、ズバリ、通話用ボイスをマスターすることです。

電話に出ると途端に口調や声のトーンが変わる人っていますよね。あれは決して相手に媚びているとかではなく、単純に進化の結果といいますか、処世術のようなものだと思うんです。ハキハキと喋ろうとして、別人のような喋り方になってしまったのかもしれませんが、それによって相手に「(むむ、こいつは手強いぞ)」と思わせることに成功しています。少なくとも私はそう思ってしまいます。そう思わせることができれば、もう舐められることは無いでしょう。

 ではいかにして通話用ボイスを身につけるかという話になります。本来なら何度も電話に出て実践で鍛えるのが良いのですが、それに付きあわせる相手がいないのも世の常。一人でカラオケボックスとかに行って練習するしかないんじゃないでしょうか。南無三。

 

通話嫌い

 みなさんは‘‘通話”をしますか?

 スマホは持っているものの、まったく通話機能を使わない人ってそれなりにいると思うんですね。そういう人向けの契約の料金形態もありますし。私もほとんど使わないくちです。‘‘ほとんど"と言ったのは、使わなければいけないシチュエーションがときたまやってくるからです。その1つが、散髪の予約です。ちょうど今日それで通話しました。散髪に限ったことではなく、呑み会のお店やタクシーの予約もほとんど通話でしょう。これが私にとってものすごいストレスなのです。

 ストレスと言ったら言い過ぎかもしれませんが、通話するときはものすごく緊張するのです。番号を入力するところで心拍数が120越えます。発信ボタンを押すのに10秒はためらいます。もちろん電話がかかってくるのも怖いです。着信でスマホが震えればビビり、いつも一度深呼吸してから出ます。それで上ずった声で要件を話し、電話を切った後にものすごく安堵します。

 あまりにも嫌だったので、一度電話ではなく美容院に直接赴いて予約したことがありました。そのときは、切っている最中に「わざわざお店に来て予約してくださったんですね。電話でよかったのに。」と言われました。うわあああああ。そうじゃないいい。そのお店には最近行かなくなりました(散髪についても思うことはあるのですがいつかの機会に回します)。

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(電話にビビるの図)

 なぜ緊張するのか。単刀直入に言えば、おそらく気まずいからです。通話で伝わる情報量は面と向かって話す時のそれよりも明らかに少ない。だから会話に齟齬が起こりやすい。それが嫌なのです。相手の表情が見えないし、ジェスチャーに頼ることもできません。相手にうまく伝わらなければ、それは自分の滑舌のせいかもしれないし、日本語そのものがおかしいのかもしれません。相手の言ったことが分からなければ、自分の理解力が無いのか、難聴気味なのかと思ってしまいます。そこでもう一度お願いしますと言うと「(なんだコイツ)」と思われるかもしれません。齟齬を回線や相手のせいにするのもふてぶてしい感じがします。余計な刺激を相手に与えていないか考えるのが負担なのです。

 結局コミュニケーション能力の欠如か不慣れが原因ですね。まあ後者でしょう。仕事などによって必要に迫られ、通話をよくするようになれば改善すると思います。相手によって(あ、この人も通話嫌いだな)と思うこともあります。自分もこんなふうだと舐められてしまうなとたびたび思います。それも嫌な理由の1つですね。

 では逆に通話慣れした人はどんな雰囲気なのか。これを考えてみました。次の記事に続きます。

 

 

語りたくなった日

私は昔から作文が嫌いでした。

読書感想文や日記の宿題、新しく転勤してきた先生の歓迎の言葉など、学校では折々に文章を書かされてきましたが、これは常々思っておりました。

しかし現在、ブログを再開する気になりました。ブロギングは作文に他なりません。嫌いな作文をなぜしようと思ったのでしょうか。

 

語りたくなったからです。

 

語りたいことができたからです。作文は何かを伝えたい、表現したいという筆者の意図があってこそ、存在意義があります。むりやり書かされてもいいものにはなりません。だから昔の私は嫌いだったのでしょう。そんなこと、昔は全然考えていませんでしたけれども。

もうひとつ、最近気づいたことがあります。私の個人的な性質かもしれませんが、

 

語りたいことができるのは精神が不安定な時です。

 

つまり今現在私の精神は不安定ということになるのですが、その原因はわかりません。ただ、精神が不安定というのは半ば本能的に認識しています。

無性に、誰かに、自らの心の内を理解して欲しいと思うことはありませんか。さらに言えば、ある程度理解してほしいけど、全ては理解して欲しくない、お前らにこの気持ちがわかってたまるかと思うことはありませんか。私は今その状態です。何を言えばいいのかわかりません。でも、何もしないままだとこのわだかまりは解消されないような気がするのです。

何かを発信して、誰かが共感してくれると信じる。共感してくれる誰かがいると信じる。その共感してくれる誰かとは、よい話し相手になれそうです。どこか宗教みたいですね。

 

というわけで、誰か共感してください。

 

 

ワンドロをやってみた

 3回目の更新にして典型的な三日坊主であったことを深く反省いたします。ただいま2015年12月31日午後10時半、年内の更新を目指して執筆中です。今年中にこの文章はブログに載せることができるのでしょうか。

 今日、ワンドロというものに挑戦してみました。もちろん初挑戦です。ここらへんからtwitterに入っていくのもアリなのではないかと思いまして。

 知らない方のためにワンドロについて簡単に説明します。正式名称は「深夜の真剣お絵かき60分一本勝負」といって、決められたお題に沿ったイラストを1時間で描くというものです。基本的に22:00~23:00の間に描くことになっていますが、一時間であればいつ描いても構いません。私は21:24~22:24で描きました。

 で、ハッシュタグってなんだ?とかちょっと調べてから、描いた絵を投稿しました。それがこちらになります。

埋め込み画像への固定リンク

 ここで画像を貼り付けようとしたのですが、ケータイから呟いた自分のツイートが検索してもなかなか引っかからない。私のタグのつけ方って本当にあってるんでしょうか?

 うおー、恥ずかしい。東方の宮古芳香です。全部シャーペンだし、ごまかしがヒドい。体とか全体的に修行が必要ですね。でも60分だし勘弁してください。

 

 はい、今言い訳みたいなことを言ってしまったのですが、どう思いますか?これは最終手段と言いますか、実力の無い人間の伝家の宝刀みたいなものです。

 ワンドロというのは、ルール上、「60分だし」という言い訳が絶対に成り立ってしますのです。これに対し、「ならあと23時間やってマシな絵にしてみろよ」と言われたら、自信を持ってyesと答えられるでしょうか?

 私は無理です。一日かけても、一週間かけても、この絵はまともな出来にはならないでしょう。そもそも描きはじめた時点から60分で切り上げることを前提として取り組んでいます。装備もシャーペン、消しゴム、B5のコピー用紙だけ、と色を付けることを考えておりません。

 60分というルールの中では、髪の毛の本数を数えることも、鉛筆で細かな陰影をつけることもできないのです。まともに描こうと思ったら絶対に時間が足りません。

 ところで、ワンドロのお題は締め切りの23時間と30分前に発表されます。なので、やろうと思えば23時間半かけて作品を作れるのです。ならばフルに時間を使ってやればよいのではないでしょうか。もしくはそうしている(ヒマな)人間をズルいと思うのでしょうか。

 私はそれでも構わないと思っています。しかも、絶対に60分で描いたということにします。これでいい作品を提出すれば、多大な評価を貰えるでしょう。

 ここで、ワンドロの存在意義を考え直してみたいと思います。とにかく、60分ぽっちで作者が満足できる作品は出来上がりません。絶対にです。まともな作品が作られないこんな企画がなぜ存在するのでしょうか?

 おそらく発案者は、初心者の救済を第一に考えたのだと思います。どんなにうまい人でも1時間では最高クオリティの作品は描けません。下手ならばなおさらです。下手な人がクオリティを上げるには、時間をかけるしかありません。そこでワンドロの実質的な制限時間を約1日として、それだけの時間を初心者に与えているのです。そうすることで、その人のレベルを「上級者の落書き」程度まで引き上げることができるのです。

 こうして参加者たちの実力差を埋め、和気あいあいとした雰囲気を生み出そうとしたのではないでしょうか。

 結果、ワンドロは初心者でも気軽に絵を発表できる場になっていると思います。私もそれに乗っかってみた次第です。

 しかし、素早く描けるようになっても、これだけでは精密に描くという技術が身に付きません。60分という免罪符がなくなった瞬間に、描いた絵は見るに堪えないものになってしまうでしょう。求めるものは交流なのか、技術なのか、早さなのか、完成品なのか、よく考えてからワンドロに参加するかどうか決めるとよいと思います。

 

結論・時間(ヒマ)がものすごく欲しい

優先事項

電気式華憐音楽集団って知ってますか?

私、大好きなんですよ。

 

なんか今週末にトークライブを新宿でやるんですって。

彼らのイベントはめちゃくちゃレアなんです。

このトークライブは15周年記念のものなんですが、これまでには普通のライブ2回しかやったことが無いんです。

つまり単純計算で5年に1回しかイベントがないんですよ(ちなみに2回のライブは1年前と6年前ですので単純計算はあてになりません。どんどん知名度が上がればイベントも増えるでしょうが)

 

でも恥ずかしいことに私がこのトークライブの存在を知ったのがこの土日なんですね。

一か月前から告知されていたのに。前売り券の応募締め切りを一週間以上も過ぎてから知ったんです。

愛が足りないからなんでしょうか。

 

当日券もあるのですが、演奏のライブじゃないし、いい席に座れるとは思えないし、そもそも入れるかどうか分からないし、片道10,000円ほどかかるし、当日は大学のサークルのイベントもあるので断念しました。

 

ニコ生で中継されるらしいのですが、サークルの方へ行くと観られないので、現在急遽ニコ生録画法を勉強している最中です。

もっと早く知っていて、前売り券でも取れていればサークルを蹴って行ったかもしれません。まあその券もものすごい倍率だったそうですが。

 

次のイベントはいつになるか分かりませんが、今度こそ拾いたいと思います。

 

情弱は罪ですね。

 

ブログ開設記念

はじめまして、くりふと申します。

 

突然ですが、あなたは友達作りは得意でしょうか?

 

私は苦手です。スーパー苦手です。

 

周りの人がツイッターやらニコ生やらで知り合った人とオフ会に行くー、などとうきうきしているのを見て、楽しそうだなー、自分もそういう相手が欲しいなー、などと思ったことはありませんか?

 

私もある友達(友達がいないわけではありませんよにっこり)にツイッターやろうぜと勧められたりしたのですが、アカウントは作ったものの、全然活用できてません。

 

なんか、他の人のつぶやいたどうでもいいことをいちいち気にしなきゃいけない、とかめんどくさくないですか。

 

で、自分がされて嫌なことは他人にはしない、が主義なので、自分からは全然ツイートしないんですよ。

 

これじゃ全然知り合いとかできないですよね。

 

じゃあ他人に不快な思いをさせずになかよくなりたい、とか都合のよいことを思っています。

今も思っています。

 

知り合うというより、一緒にワイワイ楽しめる相手が欲しいんですよ。

 

なので何かアクションしなければいけないのですが、いきなり他人に噛みついていくのはハードルが高くありませんか。

 

そこでいきなり口論になったりしたら勝てないし、変な履歴が残るし、なにより自信を無くして傷つくじゃないですか。

 

そこで自分の意見を他人に晒す練習として、ブログを始めました。

 

なるべく興味深いことを書くつもりなので、適当に見てください。